other
『ハッピーアワー』『寝ても覚めても』『ドライブ・マイ・カー』『偶然と想像』そして『悪は存在しない』の映画監督・濱口竜介による映画論を、全2冊に集成。1巻目の「映画講座」篇には、仙台・神戸・鎌倉・ソウルなどで開かれたレクチャーをまとめる(すべて初活字化)。映画史上の傑作・名作はいかに撮られてきたのか、その作劇と演出と演技へと迫る。2巻目は「映画批評」篇として、映画をつくりながら折々に発表してきた作品レビューや映画をめぐる論考・エッセーにくわえ、日本語未発表原稿や書き下ろし2篇(7万字に及ぶブレッソン『シネマトグラフ覚書』論ほか)も収録する。映画監督は、映画の何を見ているのか、ここにつまびらかになるだろう。
私の映画との関わり方、というのは何かと言うと、それはもちろんまず撮る人――この場合は監督として――ということです。そして、もう一つは、もしかしたらそれ以上に映画を見る人、ただの映画好き、一ファンとして、ということですね。映画好きが昂じてそれが職業になるところまで来たので、一応は人並み以上に好きなのだろう、とは思っています。ただ、そんな風に人並み以上に好きであるにもかかわらず、映画というのはどこか、徹頭徹尾私にとって「他・なるもの」であるようだ、というのがほとんど二十年近く映画と関わってきて、私が強く持っている感覚なんです。――「他なる映画と 第一回 映画の、ショットについて」より
「映画をこれまでほとんど見ていない」ような人でも理解できて、しかもその人をできるだけ自分の感じている「映画の面白さ」の深みへと連れて行けるように、という思いで構想した。――「まえがき」より
自分が文章を書くことでしようとしていたこと、それは、その作品なり作家なりの生産原理を摑むことだった。文章によって、その原理の核心を鷲摑みにすること。せめて尻尾だけでも摑んで離さないこと。――「あとがき」より
ー
目次
まえがき
I
他なる映画と 第一回 映画の、ショットについて
他なる映画と 第二回 映画の、からだについて
他なる映画と 第三回 映画の、演技と演出について
II
偶然と想像
偶然を捉えること
III
改心を撮る――エリック・ロメールからフリッツ・ラングへ
復讐を描く――黒沢清からフリッツ・ラングへ
運命をつくる――フリッツ・ラングからエドワード・ヤンとクリント・イーストウッドへ
IV
複数の複数性――侯孝賢『悲情城市』
同期・連動・反復――小津安二郎『東京物語』
ー
四六判並製 仮フランス装 432頁
編集・デザイン:éditions azert
インスクリプト