other
ポエジーが複数性として立ち上がる
詩人はふりをするものだ
そのふりは完璧すぎて
ほんとうに感じている
苦痛のふりまでしてしまう
書かれたものを読むひとが
読まれた苦痛のなかに感じるのは
詩人のふたつの苦痛ではなく
自分たちの感じない苦痛にすぎない
こんなふうに 軌道のうえを
理性を楽しませるためにまわっている
そのちいさなぜんまいの列車
それが心と呼ばれる
(「自己心理記述」)
「フェルナンド・ペソアFernando Pessoaの名前は、ストラヴィンスキー、ピカソ、ジョイス、ブラック、フレーブニコフ、ル・コルビュジエといった1880年代生まれの偉大な世界的芸術家たちのリストのなかに入れられるべきだ。彼らの特徴がすべてこのポルトガルの詩人に凝縮されて見出される」とロマン・ヤコブソンは述べた。ペソアという名の劇場に、アルベルト・カエイロ、リカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンポスといった異名者たちが仮面をつけて登場する。かくして、デカルト以降の自我の神話は解体される。マラルメが無名性として、ランボーが他者として現出させたポエジーが、ペソアによって複数性として立ち上がる。「私は誰でもあり、誰でもない。私はすべてであり、無だ」。プラトンはミメシスの徒である詩人を国家から追放したが、ペソアはミメシスを称揚する。ミメシスという身振りを共振によって共有すること、それこそがペソアを読むという希有な体験だ。本書では、複数詩人ペソアの主要な異名者3人と本人名義の代表作を収録した。
編訳者=澤田直(さわだ・なお)
1959年生まれ。立教大学文学部教授。著書に『フェルナンド・ぺソア伝 異名者たちの迷路』『サルトルのプリズム 二十世紀フランス文学・思想論』『〈呼びかけ〉の経験』、編著に『異貌のパリ1919-1939 シュルレアリスム、黒人芸術、大衆文化』『はじまりのバタイユ』など。訳書にぺソア『新編 不穏の書、断章』、フォレスト『さりながら』など多数。
四六判並製・160ページ
思潮社