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『「国語」と出会いなおす』矢野利裕

2,530円

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国語は得意だったけど、文学はよくわからない 文学を読むのは好きだけど、国語はつまらなかった ──でも、どうしてわたしたちは国語を学んだのだろう? 国語と文学の歩んできたビミョウな関係を紐解きながら、 ゆるやかな共同性を育む教室の可能性と、小説のもつ多様でゆたかな解釈を結びつける。 現役国語教師/批評家の著者による、新しい国語/文学論。 ★芥川賞作家・滝口悠生が、自作の試験問題を解きながら国語と文学について語る特別対談も収録! 「国語で文学は教えられない」という批判に見られるように、 対立するものとして語られがちな「国語」と「文学」。 けれど果たしてその対立はまっとうなものなのでしょうか? 新学習指導要領に伴って新設された「文学国語」と「論理国語」や、 著者が教室で体験したさまざまな生徒からの反応、 文学研究の成果が反映された現在の指導内容、国語の試験と小説の相性の悪さ、 「文学史」のつまらなさとその必要性…… 国語と文学をめぐるさまざまなトピックから、 属性や立場の違いを超えて《同じものを読んでいる》ということのみによって担保された、 共同性を育むものとしての「文学」の意義を再確認する。  これを読んでいる人のなかには「国語の授業は得意だったけど、文学のことはよくわからない」という人がいるかもしれません。あるいは「小説を読むのは好きだけど、国語の授業は好きでなかった」という人もいるかもしれません。しかし、いつまでもそのように「文学」と「国語」とを切り離しておくことはないでしょう。 本書の立場からしたら、「文学」について考えるためには「国語」と向き合う必要があります。「文学」ファンは「文学」と「国語」とを切り離して考えてしまいがちですが、多くの人にとって「文学」は「国語」の延長にあるのです。したがってここで問うべきは、「国語にとって文学とはなにか」あるいは「文学にとって国語となにか」ということでしょう。 本書は、このような問いを通して「文学/国語」のありかたを再設定することを目指します。それは「文学」的でありつつ「国語」的な、あるいは「国語」的でありつつ「文学」な─つまりは「文学/国語」の双方が、それぞれに手を取り合うありかたにほかなりません。 みんなが少なからずどこかで、というか多くの人が「国語」の教科書で一度は読んだはずの「文学」を、人によってはきれいさっぱりと忘れてしまった「文学」を、ふたたび現在の視点から考えたいと思います。(「はじめに」より) 目次 はじめに 第1章 国語は文学をわかってない!? 第2章 物語と共同性 第3章 最近の教科書を見てみよう 第4章 書きすぎていない小説と試験問題 第5章 文学史について考えよう 第6章 「文学」を再設定する 対談 滝口悠生×矢野利裕 「国語が問うもの、文学が描くもの──出題者と作者による国語入試対談」 あとがき 参考文献 矢野利裕(やの・としひろ) 1983年、東京都生まれ。国語教員として中高一貫校に勤務するかたわら、文芸・音楽を中心に批評活動をおこなっている。2014年「自分ならざる者を精一杯に生きる──町田康論」で第57回群像新人文学賞評論部門優秀作受賞。著書に『学校するからだ』(晶文社)、『今日よりもマシな明日 文学芸能論』(講談社)、『コミックソングがJ-POP を作った』(P-VINE)、『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)などがある。 (出版社サイトより) 四六判・並製 296頁 装丁 加藤賢策(LABORATORIES) 装画 ZUCK フィルムアート社

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